2022年9月27日

メイキング 2
第二章 ヒムセルフ 『オサリバンの肖像』 その1
メイキングの原稿を書くことにしたのですが、せっかくなら本に記載していないことも書きたいと思いながら時間だけが過ぎてしまいました。

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Gilbertmaniaは第一章から順番に書いて行ったわけではありません。第二章が早い時期だったかどうか記憶にありませんが、この章に関する後半は最後の仕上げの前に付け足しました。

1980年代後半から本格的にCDがレコードにとって代わるようになったため、それ以降のものはCDが基本となっていますが1970年代はレコードがオリジナルなのでレコードを掲載するだけのスタンスで当初は原稿を書いていました。もともと『Himself』にはCDの記載の予定はなかったのです。それまでは世界各国の『Himself』盤を掲載していました。削除したのは、たとえばオーストラリア盤やニュージーランド盤。ただ、世界各国のレコードラベルを多く掲載しても面白いものにならないのでやめたのです。それと資料的な価値を持たせようとCDの情報も入れたのです。

オーストラリア盤
オーストラリア盤
ニュージーランド盤
ニュージーランド盤

はじめのご挨拶にも書いたのですが、本来はオリジナルの雑誌や新聞記事を掲載し、それに日本訳をつけて当時オサリバンがどのように取り上げられていたかを順に紹介しようと思っていました。「Nothing rhymed」は8位にまで上昇したという事実はご存じでしょうが、それまではどうだったのか、いつ登場して順位をあげていったかの事実はおそらくほとんどのファンは知らないはずです。しかしそういう資料もちゃんと存在します。NME(ニューミュージカルエクスプレス)では1970年12月2日に26位で初登場しています。

また「Nothing rhymed」の歌詞は当時12ものヴァースを書いていましたが、その中から4つをゴードンミルズが選んでオサリバンは歌っています。したがってあとの8つの歌詞はすべて未発表。オサリバンによると、あとのヴァースも本人は気に入っていたようです。

ちょっとずうずうしいですが、将来的にはオサリバンにその歌詞も公開して欲しいとお願いし、いつかディープで詳細な1970年代の資料を紹介したいですね。

これらの記事は、本にできない場合、あるいは本にしない場合、ギルバートマニアをご購入の人達だけに特別に提供できればと思っています。マニアが汗水たらして収集したものです。何らかの形でアーティストの財産として、そしてずっと先にオサリバンの音楽に興味を持ったファンの人達にその遺産を引き継いでもらってやっていくことも必要ではないかと考えるようになりました。もう半世紀以上にもなる資料を細かく収集していく手間をかけられる人はそうは出てこないでしょう。そもそも当時の新聞や雑誌は現物に関しては手に入りません。逆にデジタル化されて検索されやすくなるかもしれませんが。

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NMEだけで1970年12月5日から1971年12月25日まででこのくらい記事があります。これらはすべてオサリバンの記事。他の雑誌や新聞を入れるとかなりの内容となります。ちなみに今回の本にはここからは一切紹介していません。

なお、ローリングストーン紙には「Nothing rhymed」が7位まであがったと(19ページ)書いていますが、これは間違いで8位です。注として記載すればよかったですね。